2007年12月06日
アンフェタミンのひみつ
こんな歴史があったのですね。
本当にすごいことだったんですね。
1887年にドイツでアンフェタミンが合成され、1893年、長井長義と三浦謹之助によってエフェドリンからメタンフェタミンが合成された。
覚せい剤として使われ始めたのは、アメリカで薬理学者ゴードン・アレスが、1933年、アンフェタミンから喘息薬(吸入式)を開発して、ベンゼドリン(Benzedrine®)として市販されたことがきっかけである。咳止め効果より疲労回復効果に抜群だと長距離トラック運転手が乱用したり、また食欲減退効果があることからダイエット薬として販売する業者も現れたが、アメリカ食品医薬品局(FDA)が乱用が報告されて1959年に処方制限に踏み切った。
アンフェタミンより数倍の強力な効果があるメタンフェタミンはドイツでペルビチン錠として1938年に市販されたが、早くも弊害に気づいて1941年に危険薬物に指定された。
日本では1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤をヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。そのため軍は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に配布したり、夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用として配布していた。いわゆる吶喊錠・突撃錠・猫目錠である。また特攻隊出陣の前には、錠剤ではなくアンプルが支給されていた。いずれの錠剤もヒロポンにお茶の粉末を混ぜたもので、アンプルは何も混ぜていない。アメリカやドイツやイギリスなども、兵士たちにぺルビチン錠などを配布していた。
やがて日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルがどっと流れ出て、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたので、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がって乱用者が増加していった。また1943年から1950年まで、薬局では印鑑さえ持っていけばヒロポンのアンプルでも錠剤でも誰でも購入可能で、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用されていた。その疲労回復力から大変重宝された。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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